餓鬼レンジャー - UPPER JAM/SECTORより

まだリスナーをビビらせる懐はあるし。(ポチョムキン)

2001年7月1日、さいたまスーパーアリーナにてWBA世界ライト級タイトルマッチが行われた。もちろん注目のカードは畑山隆則vsジュリアン・ロルシー戦だ。緊張が走る。畑山選手が入場してくる。なんとそのときの入場曲が、ここで紹介する餓鬼レンジャーの名曲「My Style Is The Best」(「火ノ粉ヲ散ラス昇龍」のカップリング曲でアルバム『UPPER JAM』にも収録)だったのである!・・・・とまあ、畑山選手に限らず、彼らの作品を聴いて燃えてくる人は多いはずだ! とにかくこのインタビューを読んでくれ!間違いなくアルバム『UPPER JAM』を聴きたくなるはずだ!逆にアルバムを既に聴いたことがある人も、これを読むとさらに味わい深く聴けるはずだ!尚、このインタビューはWOOFIN’でも掲載されているので、そちらも是非チェックしてくれ!

-―― このアルバムの制作月数がわすか二ヶ月だったとうかがったのですが。

ポチョムキン「今までに録った曲も入ってはいるんで、新たに録った曲は全部その期間でできたかな。時間もなくて、すごく集中してやった感じですね。でも、逆にそれがいい感じになったと思いますよ。楽しんでやれたし、その感じが多分出ていると思うんですけど」

―― それにしても、すごいボリュームですね。プリプロ(和製業界用語でスタジオに入る前に打ち合わせレベルでレコーディングすること)の段階からこのボリュームになることは見えていたんですか?

ヨシ「プリプロ出来なかったと言ったほうが・・・(笑)」

ポチョムキン「(プリプロをやれたのは)「RAP-WARZ」くらい・・・。本当は全部やる予定だったんですけど、それくらいですね」

―― では、蓋を開けてみたらこのヴォリュームだったのですか?

ヨシ「レコーディング作業を残すところあと3、4曲の時点で、スタジオから一回一回MDを貰うんですけど、その時にこのマメな性格が奏してかどうか分からないんですけど、編集していたら、アルバムの収録時間がトータルで78分とかになっちゃって、焦って(笑)。それで色々な人に電話して『CDは何分収録できるんですか?』って聞いたり、それから新たに減らしたりはしたんですけどね」

―― ちなみにオーバーした曲数は何曲くらいあったんですか?

ヨシ「本当はもっとフリースタイルとか入れたかったんですよ。それは遊びの延長じゃないけど、色々なアーティストに参加してもらったり、っていう感じで。まず、それも出来なかったし、あと「東雲」も録ったけど、入れなかったり。大きく言うとその2つですね」

―― このアルバムは、それぞれの曲ごとに、その時々のメンバーの状態がストレートに伝わってきますよね。

ヨシ「そうですね。俺もちゃんと考えていることは考えていたんですけど、「火ノ粉散ラス昇龍」をリリースしてから、「PASS DA MIC イリュージョン(feat. 海、44 NAYURAL、MUZZLE from CHILLPRO)」ばっかりに集中していたら他の曲を書けなくて。(アルバムの締め切りの)日にちはどんどん迫ってくるし、オケはどんどん上がってくるし、『ヤバい!』っていう状態で、レコーディングのために東京に来ました。後は、「睡眠削ってやる!」くらいの勢いで、四時間くらいの睡眠が二ヶ月くらい続いたんですよ。でも、案外、そっちの方が意外と向いているんじゃないかって気づいたんですけどね。短期で集中した方がいいのかな」

―― まさにそういう歌詞がありましたね。『土壇場で転がっても、歌詞を書く』という・・・。

ヨシ「正にそうです!! あれは!! あれは一番最後に録ったんですよ。あれは三日寝ていなくて、瞳孔が開いている感じで(笑)。スタジオに入って、ボーっとしていて、『じゃあ、まず今の思いを書こう』と思って書きました。明確に自分の武器が何なのか分かっている以上、書きやすかったです」

―― 今まではどちらかというと、どちらかのテンションが高かったり、どちらかが低かったり、という印象があって、二人のテンションががっちり揃う瞬間というのがなかなか無かった感じなんですが、今回そういうのが誤差は全くないですよね。

ポチョムキン「無いかもしれないですね。でも、実際どちらかのテンションが高かった、低かった、とかいい感じにリンクしていなかったというのは無いと思うんですよ。単に上手いこと出せなかったのかな。でも、今回からそういうのが上手く出せるようになったんだと思いますよ。要は二人とも上手いことこなせるようになったっていうのが、今回一番デカイ収穫だったかな」

ヨシ「今思うと、『火ノ粉〜』の時より、アルバムのレコーディングの方が、当然二人がスタジオで会う回数も増えて、連絡や会話も増えますよね。それって意外と大切なことなんだなって。お互いに『お前の求めるモノは言わなくても分かってるよ』みたいな心の距離感が近くなったかなって思うんです。それが良い結果に繋がったのかな」

―― 今はどちらに住んでいらっしゃるのですか?

ヨシ「俺、結局向こう九州に住むことになったんですよ。で、シン(ポチョムキンの愛称)が福岡に」

―― では、お二人の拠点は福岡に?

ヨシ「そうですね」

―― (ポチョムキンは自身のレーベルである東雲レコーズを展開している関係で東京に住んでいたため、以下の質問になる・・・)二人とも福岡に住むことにしたというのは何故ですか?

ヨシ「音楽的なこと以外でも相談したっていう部分があるし、シンがぼそっと『俺が福岡に行く。そして三人で東京に出てくる。それ、面白い』とか言い出して(笑)」

ポチョムキン「次はもっと手の込んだ事とかやりたいですね。プリプロとかもしっかりやって」

―― プリプロをやれるような環境を九州にも作るかも、という話を聞いたのですが。

ヨシ「そうですね。一番良いのは九州にスタジオがあったり、エンジニアがいたり、DATさえ送れば良いという状態にはしたいですね。でも、福岡、東京と離れていて、ここまで出来るとは正直思っていなかったですね。もうちょっとぐちゃぐちゃになっちゃうかなって思っていたんですけど、意外に集中してやることができました」

―― アルバムを通して聴いても、全然退屈では無いし、ね。

ポチョムキン「退屈なのは嫌なんですよ。繰り返し聴いてもらいたいし。『よくできました』じゃ退屈じゃないですか。俺のラップのスタイルにしても、十人十色の感想を持ってもらえるような作り方にしているんですよ。そういうのが理想ですね。ちょっと考えさせてみたり。でも聴いてみるとちゃんと起承転結みたいにはなっているでしょ? 曲順とか良かったなって思いますね」

―― 最近の日本のラップのアルバムというのは、お客さんのニーズがメッセージになってしまったり、内容が傾いている感じが否めないのですが、今回の作品はラップの作品だと感じましたね。ラップが気持ちいい作品ですよね。

ポチョムキン「まさにその通りですね。実際ライヴとかでもラップ自体が気持ち良い曲の方がお客さんたちも気持ちいいと思うし、乗ってくれるし。そこは肝ですね」

ヨシ「要はリスナーが求めている餓鬼レンジャー像というものがあったとして、それを打ち出している曲と、大きく裏切っている曲とのバランスがいいかなって思いますね。色々な感情なんかを餓鬼レンジャーなりのフィルターに通して出せたかな、と思います」

ポチョムキン「あんまり予定調和にならないようにはしたいですね」

―― 餓鬼レンジャーはもう誰にも似ていない、唯一無二の存在になりましたよね。

ポチョムキン「本当は最初の頃は色々と言われていて、最初はマミーDさん(ライムスター)とかが好きで真似していたし。でも、続けていくうちに段々と変わってきましたね。チームカラー的なものを続けていると味が出てきますよね」

ヨシ「短い小節数でバンバン変わっていくスタイルは、俺達のカラーとして自信を持って提示できますからね」

ポチョムキン「他の2MCよりも、そういうところは良いツボを押さえている気がしますね。ヨシくんとだったら、入れ替わりとかが格好よく出来るんですよね。そこが俺達の良いところです」

―― そして、ヒップホップグループとしてのラフさが良い形で出ていますよね。

ポチョムキン「それはレコーディングの雰囲気とかにも関係あると思うんだけど、ブースに一人で入っていると、向こう側にいる連中を笑わせようとするじゃないですか。それで「ゲンゴ ROLLER COASTER」とか最後声が裏返ったりしちゃって(笑)。けど、『これウケてるからイケる!』(笑)とかってそのまま入れちゃったり」

ヨシ「そういうの多かったよね、今回」

ポチョムキン「そういうMCの底力というか、目の前にマイクがあったらそのぐらいの余裕というか、そのくらいのことは出来るようにならないとね」

―― 今回のアルバムで、意外な組み合わせだなと思ったのがM.O.S.A.Dのフューチャリングだったんですよ。

ポチョムキン「でも、あのビートでいけば格好いいだろうなって思ってたんですよ」

ヨシ「俺達と絡む時に、M.O.S.A.D側でもない、餓鬼側の色でもないっていう、独特の色がまれたから、大成功だと思います」

―― 面白かったのが、自分達を芸者って呼んでいる曲(「芸者屋」)があるじゃないですか。あえて自分たちを芸者と言ったのは何故ですか?

ポチョムキン「艶のある感じにしたかったんですよ。オケを貰ったときもそんな感じだったし」

ヨシ「最初は悩みましたけどね。『芸者屋にしようと思う』って言われて『えっ? 芸者?』って(笑)」

―― バットテイストの出し方が今までとは違って、フィルターを通している感じになりましたよね。

ポチョムキン「モロ直球みたいなものもやりたいですけどね。そういうのも面白いと思うし」

ヨシ「基本的にシンは変化球で、俺は直球だと思うんですけど、今までは球そのものが直球だったな、と。でも、マウンドで振りかざす瞬間からが大切だなっていうことに気付いて、そういうのをやってみました。投げるまでの面白みというか。マウンドを蹴る姿とか、星飛馬的な(笑)」

―― 「ばってんlingo(feat. KEN-1-RAW from VOLCANO POSSE)」では、ケンイチロウ君が遂に陽の目に当たっていますね。

ポチョムキン「ある意味、今の俺があるのもケンさんとか地元の人達が、場所を作っていてくれたからだと思うんですよね。俺がラップを始めようと思った時には現場があったんですよ。発表する場っていうのも、その人達が中心となって作ってくれていたから・・・。だから今になって繋がって、また美しい話です(笑)」

ヨシ「九州の濃厚なエキスが出ているよね。もうちょっとで熊本県民の歌になりそうな感じの(笑)。なんとこれ、歌詞カードに標準語訳まで付けているという・・・。日本語ラップを英語訳したアーティストはいるけど、同じ日本語でやったのは初めてだよ(笑)」

ポチョムキン「対訳読むと結構笑えますよ。楽しんで読んでください」

―― このアルバム・タイトル『UPPER JAM』の賛否でもめたという噂を聞いたのですが、真相の程は?

ポチョムキン「もめてはないんですけど、ジャムっていう言葉は「詰め込む」という意味があって、74分のCDにパンパンだったっていうのと、辞書を見たら、ジャムのもう一つの意味に「遊びみたいに楽な仕事」っていうことが書いてあって(笑)。ある意味、俺達がやっていることっていうのは、究極の遊びというか、生活の一部にもなっているし、いい感じにヒップホップやってきていると思うし。それを全部ひっくるめて、楽しくやっているということで。生活していくという事も含めて、良い遊びだな、と」

―― 『アッパージャム』というアルバムを一つの形にして、これから先の餓鬼レンジャーはどのようなビジョンを考えているのですか?

ポチョムキン「今はセカンドアルバムくらいまでは、ある程度のビジョンは見えています。九州の方でもラジオの話とかあったり、クラブのレギュラーイヴェントも決まっているので、ライヴもガツガツやっていきたいですね。別に九州盛り上げ委員会じゃないですけど、向こうに住みつつ、こういうベースでやっていきたいな、と。まだリスナーをビビらせる懐はあるし。本当に俺達が困るのはアルバムの三枚目くらいですかね(笑)。地方に住んでいると、ヒップホップでプロになりたいと思っていても、すぐに金とは結びつきにくいじゃないですか。でも、その辺の意識改造は今回東京に二年半住んでいて成されましたね。今九州に戻っても、どこかで自己意識とかの管理を考えるようになったから、どこに住んでいてもやっていけるかなって思ってます」

ヨシ「シンが九州に戻ってくるっていうのは、俺にもでかくて、熊本で一緒に活動していた時期にある意味戻りますよね。原点ではないけれど。今回スキルアップした上で戻るから、自分達のビジョンに関しては、何年後とかのスタンスとかでは見れないんですよ。目の前にあるものを一つ一つ消化していって・・という感じですね。セカンドアルバムも大体決まっていて、一ついえるのは、一年後ではないということですね。一年かからないうちに出せたらなって思っています」

Album「UPPER JAM」ビクターエンタテイメント\2,600- (tax out)2001.09.05 Release

●INTERVIEW/柾虎●SPECIAL TANKS to WOOFIN

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