マイカデリック - 娯楽の殿堂/SECTORより

一言で言うと、自分の中にファンクなものっていう定義があって、そこに引っ掛かるか引っ掛からないかっていうところかな。(ダースレイダー)

“扱うトピック、ライムのボキャブラリー、ビートのセンス、どれをとっても規格外、異質、馬鹿であり超ファンク。そのアウトサイダー的体質が実はヒップホップそのもの(紙資料より引用)”。一言で言ってしまえば、「最もP-FUNK臭い日本人ヒップホップ・グループ」だ、ってこと! 誰のことかって? そりゃあ、ここで紹介するMICADELICのことさ。とにかくアルバム『娯楽の殿堂』を聞いてくれ! その意味がすぐさま理解できるはずだ。言葉のインパクトを重視しているラッパーなんてたくさんいるが、ここまで気になる言葉を発してくるラッパーも今までいなかったぜ! 具体的にどんな言葉かって? それは自分の耳で確かめてくれ!今回のインタビューはレゲエ界でカリスマ的な存在であるフリー・ペーパー(各レコード・ショップなどで貰えるよ!)、Riddimからオファーを頂いて行ったものだ(SPECIAL THANKS to RIDDIM)。当日はメンバーの都合によりダースレイダーのみの参加となったが、非常に興味深い話が続々と出てきたので、最後まで飲み干してくれ!

―― Riddimは読んでる?

ダースレイダー(以下D)「読んでいますよ」

―― レゲエも聞くの?

D「60、70年代のレゲエをよく聴きますね。ダンスホールも当然聴いてはいるんですけど、昔の物の方が好きかな。あと、最近はSOULJAZZレーベルから出ているソウルのインストのレゲエカバーみたいなゴキゲンなやつが気に入っていますね」

―― これまでにレゲエの人達との交流はあるの?

D「コーン・ヘッドとは前にやったことがありますね。他にもレゲエの人達とライヴすることとかあって、この前も横浜ベイホールの‘祭り’に俺らも参加したんですよ。レゲエの人たちってノリがすごく格好よくて、俺達も負けねえぞ、って頑張ったりするんですけど、積極性だったりとか、自然の流れでのノリだとかがすごく格好よかった。その時もマイティー・クラウンとかすごい勢いで盛り上がって、DJバミューダも客いじりが相当ヤバくて。声の煽りも、盛り上がらないともう一回、もう一回、もう一回っていうように(笑)。それがお客さんにも浸透していて、皆解っているし。凄くエンターテイメントとしてレベルが高いなって感じたし、本当にレゲエの人ってすごいなって思いましたね。」

―― ヒップホップとレゲエは違う感じでとらえている?

D「うん。ヒップホップより敷居が低い感じがして、勉強になることも多かったですね。ヒップホップも格好いい人が格好いい事するのはいいんですけど、(ヒップホップを)始めたばっかりの人はどうしてもヒップホップっぽい距離感というか、ちょっと斜に構えるところがあるのに対して、レゲエは違うなって思いましたね。世間的に知られていない人が出てきても面白ければ飛びつく感じもあるし。それが自然だと思うんですけど。全員とはいわないけど、ヒップホップの人の中には自分からどんどん壁を作っていっちゃっうような人もいる。本当は近い距離のはずなのに、格好いいものを変にやろうとしちゃって距離が出来てしまうような」

―― ヒップホップに出会うまでは、どのような音楽を聴いてきたの?

D「とにかくいろいろな音は聴いて自分のアンテナを立てておこうとは思っていました。クラッシュとかマッドネスとかのロックを聴いていた時もあったし、純粋な意味でジョン・レノンの『イマジン』が入っているアルバムは週一で聴いていたり。6歳から10歳は日本じゃなくてイギリスにいたから、小学生の時はMTV系を聴いていましたね。マドンナとかカルチャークラブとかマイケル・ジャクソンとか。その年令でマドンナの『ライク・ア・ヴァージン』が歌えたという(笑い)」

―― その当時はヴァージンの意味って理解していたの?(笑)

D「友達にマセていた子がいたからね(笑)『レザボアドッグス』っていう映画の中でクウェンティン・タランティーノが『ライク・ア・ヴァージン』について話しているんですけど、「ライク・ア・ヴァージンっていう意味は、その女は本当のヴァージンだったんじゃなくて、実は何度も経験があるのにその時にヤッた男がデカかったからヴァージンの様な痛みを感じた」って言っていて。それで「あー、そっか!」、って納得しちゃった(笑)。さすがタランティーノだなって思いましたね。(笑)その頃のイギリスってまだCDの普及が進んでいなかったから、最初に買ったのは『ゴースト・バスターズ』のテーマ曲のテープだったんですよ。そこから音楽を聴く時期が始まったって言っても過言ではないくらい。中学からはビートルズ聴いて、次にローリング・ストーンズ聴いて、それからジミ・ヘンドリックスとかスライとか・・。で、ジェフ・ベック。後、プリンスは大好きだった。 CDも凄い揃えて聴いていましたね。その辺りからスティービー・ワンダーみたいなソウル聴きだして、次にP FUNK聴くようになりましたね。そこでかなりP FUNKにやられて『ワンネーションアンダーグループ』っていうアルバムについて湯浅学さんか誰かがP FUNKと一緒にレゲエの本を出版していて、その影響受けていたり。フィッシュ・ボーンズ聴いたりだとか、あちこち節操なく聴いていましたね」

―― そして、その後にヒップホップに出会う、と。具体的にヒップホップに出会ったのはいつ頃?

D「ヒップホップは時期的にもっと後でしたね。そうやって色々聴いていたら、ファンクっぽいものが好きなんだなって気づいて。自分でも何かやりたいなって思った時は楽器も出来なくて。ギター買ったりはしたんですけど、指がFのコードに届かなくて(笑)。歌もヘタなんだけど、ラップならできそうかな、と思って。日本のラップを聴いたのも結構後でしたね。つい最近の出来事なんじゃないかな」

―― 日本語ラップにハマりだしたきっかけは何だったの?

D「自分でラップを始めたのと、(日本語ラップを)聴きはじめたのは同じくらいですね。ずっと日本語ラップのファンで、それを聴いて自分も始めたっていうよりも、他にも日本語ラップやっている人がいたのか、と。実は前から日本語ラップをやっている人達はいたんだけど『さんぴんチャンプ』の時はまだ日本語ラップを聴いていなくて、その後にブッダ・ブランドとかライムスターのCD買って、そこで始めて『ちゃんとやっている人達がいるんだな』って思って、そこから日本語ラップも色々聴くようになりましたね」

―― ダースレイダーくんのリリックの世界観ってとても独特だよね。具体的にどこから影響を受けているの?

D「一言で言うと、自分の中にファンクなものっていう定義があって、そこに引っ掛かるか引っ掛からないかっていう所かな。例えば、漫画でいったら『キン肉マン』と『お坊っちゃまくん』なんかが引っ掛かっちゃう。それは完全に俺の基準なんで、メンバーの真田人には真田人の基準があると思うし、一緒の部分も有ると思う。レゲエを聴いていたのもジミー・クリフが凄いファンキーなおっちゃんだったから入っていけたとこもあると思うんですよね。シンプリー・イーストとかアスワドが自分の中に入ってこなかったのは、ちょっと格好よすぎるんだよなっていうところがあったからかも。顔が二枚目すぎるとか(笑)」

―― 分かる! 分かる!(笑)

D「だから、プリンスはいいけど、マイケル・ジャクソンはスター過ぎる、とか。俺の基準は言葉にしても、音にしても、俺がファンキーだと思うものを基準にして選んでいる感じですね。」

―― そういった意味でマイカデリックのメンバーは統率とれているよね。

D「DJ OSHOWはファンクっていう言葉を使うかどうか分からないけど、あいつは自分が格好いいと思うものは、いくら周りがそれを格好悪いと思っていても平気で『俺は格好いいと思う』っていうのがすごくある。真田人もそうで、あいつなりの価値観しかなくて、逆に人の意見とか全く聞かないから自分がいいと思う事しかやらない。そんな奴等が3人集まっているからゴチャゴチャでカオスだけど、そこが共通点だったりもするからグループとしてはそこでまとまるんだなって思いますよ。皆が自分のアンテナに引っ掛かったものを持ってきて曲にしましたっていう感じかな。一応、三者三様にっていう感じで役割を果たしていければいいんじゃないかと思いますね」 

―― なるほどね。ところで話がそれちゃうんだけど、ダースレイダーくんって、実は現役東大生なんだよね。東大では何を勉強しているの?

D「実は殆ど通学していないんですけど(笑)。文学部の東洋史について歴史を勉強しようと思ったんだけど、異様にマニアックすぎてついていけなくなっちゃったんですよね(笑)。例えば、インドネシアの村にパイナップル工場があって、そこの出荷の50年間のデータを調べてインドネシア経済と世界情勢とを結び付ける。みたいなことをやっているんですよ。皆さん真面目にそれを研究しているんですけど、俺はあんまり興味が持てなくて(笑)。でも、面白い話もいくつかあって、インドネシアのパイナップル工場って分業制が成り立っていて、木の上にパイナップルがなっているんですけど、木を揺らしてパイナップルを落とす人と、落ちたパイナップルを拾う人と、拾ったパイナップルを運ぶ人で分業が成り立っているんですよ。となると、木を揺らすだけで給料を貰っている人がいるわけじゃないですか(笑)。それで、そこの缶詰め工場でパイナップルは加工されて外国に輸出されていくっていう。パイナップルの缶詰め一つにしても、その歯車のスタート地点がそういう風になっているっていう今迄だったらあまり考えられなかったシステムの話は聞けてよかったのかな。でも、やっぱり勉強って結構大変でちゃんとやっている人達には失礼ですよね」

―― かなり興味深い話だけど、話を戻そうか。今回のアルバム『娯楽の殿堂』は、いい意味で好き嫌いが分かれるだろうね。このドロっとした具合が俺は大好きですけど。

D「とりあえずこういう物だっていうのを提示しておきたかったんですよ。好きになれって言ってそうなってくれたら問題ないんですけど、なかなか口説き落とせない女がいることもあるっていう感じで、それは好きになってくれないからしょうがないじゃないですか。自分をそのまま出さないで、違うところで好きになられても困るというか。『俺ベンツに乗っててさー』(笑)みたいなことをアピールして、『格好いい!』って思われて、本当は持ってなかったら厳しいじゃないですか。今回のアルバムが嫌いな人には次回良さを教えにいきます(笑)。皆に聞いてもらいたいけど、食わず嫌いで、聴かないで嫌いっていうのは困りますけどね」

―― 最後に、今後の予定を教えて下さい。

D「毎月第一金曜日に池袋のbedで『デラックスコンボ』でライヴをやっています。そこは俺達のホームグラウンドだから皆に気軽に遊びに来て欲しいですね」

1st Album「娯楽の殿堂」cutting edge¥2.854- (tax in)2001.11.07 Release

MICADELIC(マイカデリック)。メンバーはダースレイダー(MC/ファンク入道としてトラック・メーカー)、真田人(MC/リーダー)、DJオショウ(DJ/トラック・メーカー/スクラッチ・ドリフターズ)。97年ごろから東京に出現、98年に現在のメンバーに近い形で活動開始。以来、都内中心にライブを展開。扱うトピック、ライムのボキャブラリー、ビートのセンス、どれをとっても規格外、異質、馬鹿であり超ファンク。そのアウトサイダー的体質が実はヒップホップそのもの。瞬く間に感染者を増殖させ、2000年にはPヴァインより傑作アルバム『ファックジャンク』で鮮烈衝撃デビュー! 以後、猛烈なハイペースで制作を続け、2001年初頭には“ダースレイダー&DJオショウ”名義でアルバム『WELCOME TO THE 変態ZONE』をリリース。さらには2001年11月7日にはアルバム『娯楽の殿堂』でcutting edgeよりメジャー・デビューを果たした! また、自身のレーベル「ひげFUNKプロダクション」を展開しており、今後も日本に真のFUNKを伝道していく重要人物としてマークされることは間違いない!

●INTERVIEW/柾虎

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