春頃には出る出ると噂になってた分、待ちに待ったTwigyのサード・アルバム『The Legendary Tony Clifton』が遂に完成。先行シングル「このまま」や「Freedom」等のコラボレ作、更にルックスも含め、ある意味、従来通りじゃない本作、その真意は?
日本で最も巧みなラップを聴かせるラッパー、Twigyの3枚目となる新しいアルバム『The Legen-dary Mr. Clifton』は、Twigyの新しい局面を聴かせる。彼は今までのキャリアのなかで常にオーディエンスをいい意味で裏切ってきたが、今回も…いや、今回こそ…それははっきりしているのだ。
しかし、多彩なゲストを迎えて、エロティックだったり、エネルギッシュだったりするTwigyの今回のアルバムは、決して順調な制作のスタートを切ったわけではなかったという。それは僕たちが今直面している決して明るくはない現実のせいだ。ここで詳しくは書かないが、Twigyの周囲も決して明るい出来事ばかりが起きていたわけではなかった。そして、レコーディングはいったん暗礁に乗り上げたと彼は言う。
「色々あって悩んだり…ともかくうまくいかなかった。で、これは駄目だっていって、(当時レコーディングしていた作品は)昔のTwigyに俺には聞こえてしまって。声質からスタイルから。まだ抜けきってないって聞こえるようになっちゃって。前作『セヴン・ディメンションズ』よりもっともっと前のように。それをなんかもう殺してやるぐらいの勢いでスタートする感じになって。そんな状況で作った最初の頃の曲はお蔵入りじゃないけど、いつ出すのかまだ分からないね。そんな時に(椎名)純平とのコラボレーションの話が来たのかな? それは良かったですね。ずっとやりたかったことをそのままやれて、痒くならずに、自然に出来た。わざとらしくならない。そういう絵があったんでよかった」
そうして出来上がったアルバム『The Legendary Mr. Clifton』ですが、アルバム中、エロティックな曲もあります。これはTwigyの実生活に基づいているのですか?
「ちょっとハイプもあるけど、そうでも無いかも知れない(笑)。そのことは今まで俺と知り合った女の子に聞いてください(笑)。俺に聞いても、俺はそういう風に答えるしかないし。俺が言ってることは、全部本当のことだから。気持ちを全部言い表したものだから。これまでもそうだけど、今度は気持ちをストレートに言い表したものだから。(アンディ・カウフマンのトニー・)クリフトンも、本当の本当はクリフトンのモチーフになった人がいるらしくて、そいつの存在っていうのも人にとっては嫌な存在って言うか。けど、自分に被害がないぶんには笑っちゃうっていうか…。見たことある、あ!知ってるってかんじで、あの映画『マン・オン・ザ・ムーン』を見たから、日本でもああいう存在ってあるような気がする。歌手とかではなくて、普通の人でも存在しているような気がする」
ここで出てくるトニー・クリフトンとは、実在したコメディアン、アンディ・カウフマンが扮するもう一つの人格、どうしようもないラウンジ・シンガー、トニー・クリフトンのことだ。Twigyも語っているが、この存在はアンディ・カウフマンの生涯を映画化した映画『マン・オン・ザ・ムーン』を見て貰うしかないような気がする。乱暴に言ってしまえば、要するに別の人格が現れるということ。Twigyは、アルバムでウィギー・クリフトンという人格を用意している。それにしても、このアルバムでの変化はTwigyの今までのファンを戸惑わせはしないだろうか? 彼はそんな心配はしなかったのだろうか?
「俺、転校生だったんですよ。田舎から、6年生の2学期の終わりに、あと1学期しかないのに。新しい学校では、今までの自分を誰も知らないじゃないですか? みんな転校生の人ってそうだとおもうけど、そこで自分のイメージって出来上がっていくわけじゃないですか? 喋ったり、行動したりすることで。『あ、それでこいつはこういう奴だ』ってなる。小さい頃のそれが俺にとってはTwigyなのかなって。それをTwigyにしたい。それは結局俺であって。その状態でいて、それはイメージで、坊主頭の頃の色々なイメージがあるじゃないですか? それを別に無くしたいとかじゃなくて、俺が普通に戻っても知ってる人は全然見抜けるし、ファッションだってそう。2001年だし、そういう(変化)は問題ないと思っている」
ファッションからして彼は変化した。そして、彼はヒップホップの現状について語る。
「ラップ自体が…今ヒップホップ・ミュージックっていって流れてたり、演ってたりする音楽の中では、それがいわゆる一般的なヒップホップの見方じゃないですか? そういう状況が俺にとっては全然ヒップホップじゃないから。だって、ヒップホップってカルチャーじゃないですか? 昔の俺を殺すわけではなく、前の俺は間違ってたっていうわけでもない。それはその時代の俺だったから、それもOKなんだ。そういうTwigyみたいな存在は他に見あたらなかった。そうしていただけで、存在していなかったから。簡単な言葉で言えば、カテゴライズされる状態が凄く嫌で…。今そういうこと言うと、ヘッズが『え!』ってなっちゃうのかも知れないけど、そういうのもどうでもいいって言っちゃうのかも知れない。それは昔KRS1がギャングスタの格好していないとギャングスタの連中は聞く耳を持ちゃしないって言ってたけど、別にシャツをパンツの中に入れて、きちんとした格好ででラップしても、KRS1はKRS1だし。誰も何とも思わないでしょ?」
Twigyは今のヒップホップについてこう結論を下す。
「だから、なんでそういうことになっちゃったのかなって、今のヒップホップ・シーンには少なからず、がっかりしてます。マイクロフォン・ペイジャーは、あの時にやるべき事はやったと思う。だからみんな遅いし、古い」
しかし、彼がヒップホップであるから、そしてヒップホップへの愛は失わずに変化したのだ。
「でも、俺だけじゃなくて、みんな作ったヒップホップの(既成の)イメージがあるから、聞かない人は即聞かないじゃないですか? そういう人はもう他のところにいっちゃうと思う」
そして、逆にTwigyはこのアルバムでやりたいことをやっている。その状況の中で。
「ようやくそういう状況になったんだなと思ったら、音楽的にはやりやすいところも出てきた。このアルバムにはラップ・ミュージックを好きな人にハマるそういう感じの曲も入ってたりする」
『The Legendary Mr. Clifton』。Twigyの意欲作である。