必要以上に持ち上げない

以下、褒める=持ち上げる=好きを表明する、という事で。本来の用法とは異なるが、自分の中では大体同じなのでそうします。

自分がそうなんだが、(ネットにおいて)美意識の低い人間から褒められても全く嬉しくない。「ああ、こんな奴を引きつけてしまう何かを文中に含ませてしまったか。反省しよう。」と考える事が多い。

個人的に尊敬する彼らも似たような気持ちを抱いている可能性を今後考慮に入れたい。褒めすぎない、あるいは褒めない。「紹介」程度の行為に留める。好きであることを表明する好意が、必ずしもその人にとって気分の良いものである訳がない。簡単に言うと「嫌いな奴に好かれても嬉しくない。嫌われた方がマシ」という事。

美意識の高さによる

ただ、これは完全にその人の美意識の高さ(あるいはそういった観念の有無)による問題だと思う。

「自分が一番センスある」と思っている人間は、明らかにセンスの劣った人間から褒められる、あるいは強く好意を抱かれるとその劣った人間と同じレベルに落ちてしまう、そう危惧するのではないだろうか。ただ、美意識どうこう考えないタイプの人間(要は普通の人)に対しては、褒めたいだけ褒めたらいいと思う。

褒められたくないとは言えない

劣った人間に褒められ、たとえ嬉しくなくとも「あなたになんか好かれたくありません」などと言うものなら「こいつは何様だ」と人格を否定されて悪評が広まって美意識どうこう言ってられなくなるかも。

あるいは「ほう、そこまで言うとはあなたの美意識は相当なものですな。ところでこの〇〇という記事(昔書いて消した記事の魚拓とかキャッシュとか購読フィードのログ)、××(消す理由となった程の痛い表現)とありますがこれはなかなか興味深い」という感じの手厳しい(分かりやすく言うとkanose的な)突っ込みを入れてくる人物もいるため、なかなか「お前に好きとか言われても嬉しくない」などと言えないのではないだろうか。

加えて、これは現実でも当てはまるかもしれないが、美意識の低い人間は「嫌い」を表明された際、醜い復讐を企てる可能性が高いという経験則がある。自分の醜さを客観視出来ないから。そのことも、嫌悪感を示しづらい要因となっている気がする。

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