命の軽さ
人の命は重い、もしくは軽い、または普通。「人の命」という大雑把な括りをしてしまうと感情論とか哲学論とか、果ては宗教論にまで発展してしまう。
結論から先に言うと、命の重軽は人による。価値のある人間の命は重く、そうでなければどこまでも軽い。
それを考える前に人間の価値の大小を定義しよう。そうだな、こういうのはどうだろう。「葬式で本気で泣く人数」というのは。嘘泣きと義理泣きと自分酔い泣きは除外。あ、嬉し泣きも駄目ですよ。その人間が死ぬ事で自分に利益が及ぶなんて多々ありますから。
話がそれた。他にも定義しよう。年収の多少とかどうか。あと友達の数とか。となれば、友達の定義をするか。よし、こうしよう。「自分の葬式で本気で泣く人間」と。